私がなぜ新日本教育研究所を設立したか、についてお話させてください。
私は、教育者として、35年間携わってきました。
私立中・高校 家庭教師、塾、予備校、大学、資格取得専門学校で教えてきました。
また、自身の経験から、空手についても指導してきました。
そして、55歳になったころから、
「自分の使命は何なのか?」
「自分は何のために生まれてきたのか?」
「本当にしたいことは何なのか?」
そして、自分の使命は
「この国をもっと豊かにし、世界の平和を実現する若者を育てることである。
そして、若者が夢をかなえることができる教育をする」
ことだと思うようになりました。
そのような若者を増やすために、自分が携わってきた教育しかない、
と考え、新日本教育研究所を設立しました。
きっかけは、53歳のときに勤務していた学校で体験したことに端を発します。
その学校は、非常に厳しく、管理職(校長、教頭など)が朝から怒鳴り散らします。
一般の会社では、当たり前のことでも、教育現場においては、違和感を感じていました。
確かに、私もミスをします。
しかし、教育現場にずっと携わってきた自分にとって、非常に辛く感じました。
当時、私の二人の娘は大学生で、授業料を稼がなければいけない状況でした。
そのような「働かなければならない」というイヤイヤ感たっぷりで学校に行っていました。
そうすると、仕事もうまくいかず、生徒ともうまくいきません。
だんだん、「うつ」状態に入ってきます。
夜はなかなか寝ることができません。
ウトウトとすれば、すぐに目が覚め、心臓がドキドキ脈打ちます。
それ以降は眠ることができません。
そのような状態ですから、一日中ボーっとしています。
最後には「もう死んでしまいたい」などと思うようになりました。
当然、教育者の本文である生徒指導もうまくいきません。
また、ミスがさらにミスを生むという最悪のパターンにはまっていきました。
もう、「どうすることもできない」と思ったときに1冊の雑誌に巡り合いました。
その雑誌は「ゆほびか」でした。
そこには、斎藤一人さんの記事が書いてありました。
その内容は、「うつ」を治すにはことばを変えなさい、と書かれていました。
ことばを変えたくらいでこの状態から脱出できるはずはない、と思いながらも、
とにかくこれしかないと思い、実行に移しました。
すぐには、治りませんでしたが、少しずつ、心の変化があることに気づきました。
そうすると、自分の運命までも変わってきました。
新しい学校も翌年にはすんなりと決まりました。
そして、運命が好転し始めたのです。
それからというもの、自己啓発、成功法則、お金持ちになるといった類の本を読んだり、
セミナーに参加したりしました。
また、「倫理法人会」という会社の社長や経営者の集まりにも会員として参加しました。
その中で、徐々に自分が本当にしたいこと、すなわち、「使命」を見つけることができました。
その使命も広い視野にたった見方ができるようになりました。
そして、新しい学校に赴任したとき、早速、担当の高1のクラスの生徒に
今まで私が学んできたことを実践させました。
実践といっても、私が体験、経験したことを毎日、プリントに書いて、生徒に配布しました。
その結果、成績は学年(当時19クラスありました)でトップ、体育祭、
スポーツ大会、学園祭(合唱コンクール)すべてで賞状をゲットしました。
そして、1年たって生徒に感想を書かせたところ、
「学校がこんなに面白いと思わなかった」
「先生の配布していただいたプリントで気に入っているものは、机の前に貼っています」
などと書かれていました。
また、このように、「心の持ち方」と「勉強方法」を指導した結果、
以前とは違う結果が、出始めました。
このことをきっかけに、自分の指導に自信を持ち始め、予備校や家庭教師で心の教育を始めました。
すると、思わぬ結果が出始めました。
そして、この「心の持ち方」や「勉強方法」をもっと広めていこうと思い、
新日本教育研究所を設立し、現在に至ります。
子供は可能性の塊です。
この可能性をより伸ばすお手伝いをしていけたらと心より思っています。